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  鍋横物語
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第1章
第2章
1 青梅街道界隈
2 道標のミステリー
3 堀之内街道沿い
 (1) しがらき山の一本松
 (2) 雑木林は遊び場
4 十貫坂周辺
5 神田川
6 洋館
7 いろいろな商売
8 懐かしの映画館
9 神社
10 本の中にみる”鍋横”の記述
 
第3章
第4章


(2) 雑木林は遊び場

 語り部:高野広國(大正8年生)・高野セッ子(大正9年生)


◆ 私は、昭和6年に鍋横の追分に、家内は昭和7年に鍋横商店街の近くに越して来ました。うちは花屋だったので、この辺りのお屋敷にはよく配達に行かされました。現在の所に店を出したのは結婚してからですが、家の前にある東京文化幼稚園や和田保育園の辺りは、峯島さんの大きなお屋敷でした。そこが江戸時代から妙法寺の参詣人で賑わった『しがらき茶屋』(明治末期閉店)のあった所と聞いています。
● そうそう峯島さんの庭には、銀座のガス灯と同じものがあったと古くから住む方に聞いたことがあります。
◆ 現在のお屋敷の裏一帯は、『しがらき山』と呼ばれていて、走り回ったり、凧揚げをして遊びました。クヌギや栗の雑木林の小山になっていて…
● そういえば、一本松と言われていた松があって、そのそばに栗の木がありました。
 弟は台風で学校が休みになったときに、飛び出して行ったと思ったら、栗をいっぱい拾って帰って来たことがありましたね。
 今の十貫坂地蔵堂の辺りには、レンゲの花がいっぱい咲いていて、私はうれしくて抱えるほど摘んだのを覚えています。



大正12年頃のしがらき茶屋

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