本文へジャンプ
 
  鍋横物語
ホーム 施設案内 地域ニュース 運営委員会の活動 組織 地域団体紹介 リンク集
第1章
1 鍋屋横丁界隈の変遷と現在
2 道の変化とまち
3 神田川の想い出
4 むかしお屋敷、いまは?
5 時の流れを見つめて
 (1) 西洋建築の家
 (2) 商家(中央5−18)
 (3) 蔵
 (4) 懐かしくありませんか!
 (5) いつ頃のことか覚えていますか?
 (6) 変わった!どっちが新しい?
6 なべよこめぐり
7 まちを彩るみどり
 
第2章
第3章
第4章


(5) いつ頃のことか覚えていますか?


以前の町の名前(現在の住居表示)

 
 中野区のまちの区画や地番は、農村から都市へと発展してきた歴史的事情を反映して、境界が不明確であったり、欠番のある地番や飛び番があって極めて複雑でした。そこで、昭和29年から町名地番整理のための調査や研究が行われ、昭和32年から実施に着手しました。鍋横地域は昭和42年6月1日に施行され、本町・中央となりました。以前の町名は現在、町会名として名残をとどめています。(「中野区史」昭和編三)

・本町通四丁目(現・鍋横)、本町通五丁目(現・新中野)、・本町通六丁目、宮里、千代田、西町の六町会

今となっては貴重品です


木製の電柱

 昭和30年頃からコンクリート製の電柱に替わっていった木製の電柱を何本か見つけました。 これらの電柱もいずれはまちの景観から消えていくことでしょう。


井戸

 昔は、まち中に多く見られた井戸も昭和34年の地下鉄工事により水脈が変わり、青梅街道沿いの井戸は数が減少しました。現存する井戸は、ほとんどのものが災害時の給水用とされています。


ゴミ箱

 昭和35年までは、写真のようなゴミ箱が使われていました。しかし、回収が能率的でなく、衛生上でも問題があり、昭和36年からポリ容器による収集が始められました。東京オリンピックの昭和39年の頃には、このゴミ箱をまちで見かけなくなってしまいました。 ところが、この懐かしいゴミ箱を使われているというお宅がありました。この形、なかなか風情があると思いませんか。



   copyright©2013鍋横区民活動センター運営委員会 all rights reserved.